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【百人一首ゆかりの地めぐり①】伊勢寺(大阪府高槻市:古曽部)

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百人一首ゆかりの地めぐりシリーズ①

今回の記事では、大阪府は高槻市にある伊勢寺をご紹介したいと思います。

難波潟
みじかき芦の
ふしのまも

あはでこの世を
過ぐしてよとや

伊勢寺は、この和歌の作者である’伊勢姫’が晩年を過ごした住居跡に建ったと伝えられています。

恋多き歌人は、どのような場所で晩年を過ごしたのでしょうか。

様々な思いを馳せながら、伊勢寺に行ってきました。

最後までご覧いただけると幸いです。

目次

阪急高槻市駅から伊勢寺へ

この日は、他に用事があったので「阪急高槻市駅」から徒歩で向かいました。

グーグルマップでは徒歩約25分との表示。

1番出口から降りて大阪医科薬科大学を左手に進みます。

一つ目の大きな交差点「八丁畷交番前」を左折。

松原公園を右手に直進します。
側道に入ります。
側道を直進。
前方の茶色く錆びた階段を上ります。
JRの線路を超えます。

階段を下りたら、左斜めの道に入ります。

あとは道なりです。

右手にファミリーマート、左手に薬局を見ながら道なりに進みます。

大きな家や田畑が増えてきて、少しずつ都会を離れ山に近づいてきているような感じになってきます。

伊勢寺が近づいてくると標識も。
到着!

伊勢寺に到着

小学3年生の娘と一緒に歩いて約30分かかりました。

心地よい雰囲気のお寺

写真からもわかる通りとても整った美しいお寺で、朝早い時間ということもあり静かで心休まるとても心地の良い空間でした。

山門

伊勢姫について

父親である藤原継蔭が伊勢(現在の三重県)を治める「伊勢守」(いせのかみ)という役職だったことから「伊勢」と呼ばれていました。

三十六歌仙(かせん)にも選ばれている平安時代を代表する歌人です。

三十六歌仙とは・・・平安時代中期に藤原公任(ふじわらのきんとう)が選んだといわれる36人の和歌の名人。他に小野小町や紀貫之など。

「宇多天皇の中宮温子に仕えながら、宇多天皇の寵愛を受け皇子を出産。その後は宇多天皇の第四皇子である敦慶親王と結婚」という、この情報だけで波乱万丈な人生とわかるような経歴の持ち主です。

とても魅力的な女性だったのでしょうね。

伊勢寺(いせじ)とは

伊勢寺は「いせでら」ではなく「いせじ」と読みます。

Wikipediaには以下のように記載されています。

伊勢姫の死後の寛平3年(892年)、その草庵は伊勢寺と号し、天台宗に属した。天正年間、高山右近の兵火に焼かれたが、江戸時代の寛永年間、僧宗永によって再興され曹洞宗に改められた

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%AF%BA

伊勢姫が晩年を過ごした場所をお寺にしたということなんですね。

山号金剛山
宗派曹洞宗
本尊聖観音

所在地

大阪府高槻市奥天神町1丁目1-19

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